大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和42年(ワ)10835号 判決

原告 荘京香

被告 安本二郎 〔いずれも仮名〕

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一  当事者の求める裁判

1  原告

被告は原告に対し、金四〇〇万円及びこれに対する昭和四二年一〇月三〇日から支払済まで年五分の割合による金銭の支払いをせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行の宣言。

2  被告

主文のとおり。

二  原告の請求原因

1  原告は中華民国の、被告は日本国の国籍を有するところ被告は、昭和三八年一二月、原告の父荘秀興の世話で、友人四名と共に台湾旅行をし、台湾滞在中は秀興の開設する荘歯科医院の三階に宿泊し、翌三九年一月帰日した。

2  この旅行を機会に、原被告の両家族は親しくなり、同年四月、原告の母裕子が来日した際、裕子は、被告方を訪問した。この時、被告は、原告に対する熱烈な愛情を示し、裕子に原告との結婚を申出たので、裕子は台湾の秀興にその旨を伝えた。そこで、秀興は、被告の兄安本一郎、母花子に対し、原被告が結婚する場合、被告が渡台して原告と台湾で永住するという条件を申出た。これに対し、被告側では、親族会議を開いて検討した結果、被告が渡台して原告と結婚することに全員賛成し、同年六月四日、安本一郎から秀興に、原被告の結婚については一同賛成しているからよろしく頼む旨の手紙を出したので原告は被告の求婚を承諾し、秀興もこれに同意する回答をした。

3  同年一一月一一日、被告宅で日本式の婚約式が行なわれたので、裕子は来日して、この式に出席し、その席で被告側から結納金二五万円と結納目録を受取つた。

4  一方原告方では、同年一二月一三日、日本大使館の公使岩本康雄夫妻の司会で東亜日光燈公司社長楊天竜を仲人として、台湾式訂婚式(婚約式)と祝賀会(披露宴)を行ない、原告の両親は原告の訂婚の宣言をした。

5  右訂婚式後、被告は、台湾ではテレビ業者が少なく、その仕事が有望であると考え、日中は芝浦工業大学、夜は東京テレビ学校に学び、昭和四〇年三月一五日同大学卒業後は、日光電気株式会社に研究生として入社し、テレビ技術修得に努め、台湾に渡る準備をした。他方原告も被告の申出により就職しないで、被告との結婚の日を待ち望んでいた。

6  ところが、その後被告に原告との結婚に対する情熱が薄らいだ雰囲気が感ぜられるようになつた。その原因は、台湾に前記日光電気株式会社の支店を開設することが困難になつたため、同社の遠井社長が被告の渡台を阻止しようとしたこと、被告の姉達が被告の財産をねらつていたこと、あるいは被告に新たな好ましい女性が出現したことなどが考えられる。そして、訂婚後一〇カ月位たつた頃、秀興が被告に渡日を告げたところ被告は非常に困惑し、拒否的態度に出た。

7  昭和四〇年八月一八日、結婚の日取りや行事の打合せのため秀興が来日した。

しかし、被告は原告との結婚について明確な態度を示さず台湾で原告と永住するという約束を一方的に破棄して、同年九月五日、被告は秀興に対し、原告と日本で共同生活をしたいと述べた。そして、被告は同年一一月五日付の手紙で原告に対し、「胃下垂になり原告との結婚生活に自信を失なつた。原告が日本に来ても、被告の現住所で被告の親族と共に生活しなければならず、風呂屋の仕事もしてもらわなければならない。この際原被告の結婚は縁のなかつたものとあきらめて欲しい。」旨伝えて来た。これに対し原告は文書で被告に反省を求めたが、被告は遂にこれに応じなかつた。

8  こうして、原被告の婚約は、被告の一方的行為によつて正当の理由もなく破棄され、原告は甚大な精神的苦痛を蒙つたので、被告は原告に対し、慰藉料を支払う義務がある。

原告の父秀興は、上流階級に属し、その境遇、地位に相応した前記訂婚式を行なつた、その費用は三六五万六〇五〇余円を要した。

原被告の婚約は、大々的な国内問題となり北投鎮(市)の多くの者が、このことを熟知しており、原告は今後結婚することは極めて困難になつた。

そのため、原告は将来を悲観して自殺を図り、一命はとりとめたが、入院、長期療養を余儀なくされた。

これらの事情を考慮すると、本件慰藉料の額は四〇〇万円をはるかに越えるべきである。

よつて、原告は被告に対し、金四〇〇万円とこれに対する昭和四二年一〇月三〇日(訴状送達の翌日)から支払済まで、民法所定の年五分の遅延損害金の支払いを求める。

三  右に対する被告の答弁

1  原告の請求原因第一項の事実は認める。

2  同第二項の事実中、昭和三九年四月頃、裕子が来日したこと、その際、被告が原告との結婚を申入れたこと、同年六月頃、被告の兄一郎名義で原告主張の趣旨の書面を秀興宛に出したこと、その頃秀興から原被告の結婚に同意する旨の回答があつたことは認める。

被告が原告に結婚を申入れたのは、裕子から娘を日本人の許へ嫁にやりたいからもらつてくれと再三懇請されたからであり、原告が日本に来ないことは、その直後に知つたが、被告は海外に雄飛したい希望があつたので台湾に渡つて原告と結婚することを決意した。なお、この間被告は原告に数回手紙を出したが、原告自身からは何らの返事がなく、結婚の申入れに対しても、原告自身からは承諾の手紙を受取らなかつた。

3  同第三項の事実は認める。

4  同第四項の事実は否認する。

5  同第五項の事実は認める。

6  同第六項の事実は否認する。

むしろその頃秀興から被告に対し、「家を買いたいから一〇〇万円都合してくれ」等と金銭を要求するようなことがあつたので、被告の母らはもちろん被告自身も原告側の態度に不審を抱くようになつた程である。

7  同第七項の事実中、秀興が昭和四〇年八月一八日頃来日したこと、被告が秀興に対し、原告の来日を望む旨述べたこと、同年一一月五日付で、原告主張の趣旨の手紙を出したことは認めるが、その他は否認する。

8  同第八項の事実は否認する。

四  被告の主張

本件婚約が破棄された原因は、原告側にある。

すなわち、原被告の結婚式は、昭和四〇年一一月、台湾で挙行することになつていた。ところが秀興は昭和四〇年八月一八日頃被告方を訪れ、その後約一カ月間被告方に滞在したが、その間、同人は既に同年一一月と予定されていた結婚式の日取りや方法等については何等相談することなく、被告の母らに対し「台湾コロンビア公司(被告が台湾へ渡つた後の就職先)の株を買うから現金一〇〇〇万円を先に渡してくれ」と要求した。被告方にはそのような大金の持合せがないばかりか、被告が渡台する前からこのような大金を要求することに不審を感じ、この申入れを断つたところ、秀興は「結婚式の準備ができないから式は来年に延ばす」と言い出した。被告は、一一月の結婚式をたのしみにひたすら台湾に渡る準備をしていたところに、右のような秀興の言を聞き、これに憤慨し、秀興に対し「それでは自分一人で台湾に行く」と申入れたところ、秀興は「お前が一人で台湾へ来ても家には入れないし、原告とも結婚させない。親が反対なら原告も承諾しないだろうから来ても駄目だ。婿養子としての籍も入れない。お前が台湾へ来ても尻尾の毛まで抜かれて日本へ逃げて帰るのが関の山だから来るな。」等と言つてこれを断つた。このような事情で被告はやむなく同年一一月五日付の前記手紙を原告に出したが、原告からは何等の返信もなかつた。

以上のように、本件婚約の破棄は原告及び原告の父に責任があるから、被告から原告に対し損害を賠償する義務はない。

五  右に対する原告の答弁

被告の主張事実は、原告の主張に反する部分は全て否認する。

六  証拠関係〈省略〉

理由

一  昭和三九年四月、被告が原告の母裕子に対し原告との結婚を申入れ、同年六月頃、原告の父秀興から原被告の結婚に同意する旨の回答があり、同年一一月一一日、被告宅で、裕子も列席の上(但し原告自身の列席なし)、原被告の婚約式が行なわれ、この席で被告から裕子に結納金二五万円と結納目録が手渡されたことは、当事者間に争いがなく、一方本件弁論の全趣旨によれば原告も被告との結婚を承諾したものと認めるのが相当であるから、遅くとも昭和三九年一一月一一日に原被告間に婚姻の約束が成立したというべきである。

二  そして、昭和四〇年一一月五日、被告が原告に対し手紙で「原告との結婚生活に自信を失なつた、この際縁のなかつたものとあきらめて欲しい」旨伝え、原被告間の婚約を解消する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

三  被告は、本件婚約の破棄につき正当な理由があると主張するので判断する。

いずれも成立に争いのない甲第四号証の一から三、乙第三・第四号証の各一・二、同第五号証、同第六号証から第八号証及び第一二号証の各一・二、被告本人の供述により成立を認める乙第一一号証の一・二及び証人安本花子、同鈴木登の各証言並びに被告本人の供述を総合すると次の事実が認められる。

1  前記婚約式の頃、被告側と裕子との間で、原被告の結婚式は昭和四〇年一一月に台湾で挙行することが決まり、結婚後被告は台湾に住むことになつた。

2  そこで被告は、秀興に渡台手続や台湾での就職先の手配等を依頼するかたわら、将来台湾でテレビ関係の仕事をするため、昭和四〇年三月一五日芝浦工業大学電気科を卒業後、テレビ技術の修得に全力をそそいで、原告との結婚に備えていた。

3  原被告間の交際は、手紙のやりとりだけであつたが、原告が日本語を充分使えないので裕子を介しての文通が多かつた。しかし、原被告間には特に問題もなく、双方とも将来の結婚を期待しており、順調に進んでいた。

4  なお被告は、当時父の遺産(土地)を相続していて、昭和三九年五月頃、秀興に対し土地を処分して台湾に行く旨手紙で伝えたことがあつたところ、昭和四〇年三月末、裕子から被告に対し、手紙で被告の財産を早急に処分し現金化するよう申入れがあつた。しかもその手紙には、財産を処分することを親や兄弟に内密にすることとか、兄(被告の)に売ると安くなるかもしれないから注意し、代金全額をもらつてからでないと印鑑証明を渡してはいけないとか、兄から台湾に行かないのに財産を処分するのは早いと言われた場合の口実等まで記載してあつた。また同年五月二六日には、秀興から被告に対し手紙で、将来原被告の住む家の建直し費用として一〇〇万円から二〇〇万円程度貸して欲しい旨の申入れがあり、同じ頃、留学保障金(被告は留学の形で渡台する予定であつた)として一〇〇万円準備するようにとの申入れもあつた。

このように原告の両親から被告に対する金銭的な要求があいついだため、被告は、原告の両親は被告の財産を目的として、原被告の結婚をすすめているのではないかと原告の両親に対し警戒心を持つようになり、この頃から被告と原告の両親との間に対立が生じ、被告の渡台手続、結婚準備も円滑に進まなくなつていつた。

5  右のような事態の推移の後昭和四〇年八月一八日、秀興が来日し、一カ月程被告方に滞在したが、同人は目前の一一月に迫つている原被告の結婚式について、何らの話し合いもしようとせず、被告や被告の母に対し、被告が渡台前、予め右会社の株を購入しなければならない事情は認められないのに拘らず台湾のコロンビア(被告が渡台後就職する予定の会社)の株を買うために一〇〇〇万円を出すように要求した。そのため前項の経過から秀興に対し疑惑をもつていた被告は、秀興の要求を断つたところ、秀興は執拗にも被告の義兄鈴木登に対し、被告を説得して一〇〇〇万円を出すよう求め、鈴木からも筋違いであるとこれを拒絶された。すると、秀興は被告に対し、「台湾に来ても家には入れない。原告は親が反対であれば結婚を承諾しないだろう。」などと言い、原被告の結婚を拒絶する態度を示した。そして同じ頃裕子からも手紙で被告に対し、「台湾に来るなら被告の持分を原告の親に預けるのは当然であり、秀興との話し合いがまとまらない限り台湾に来てはいけない。台湾に来ても永住できないし、ひどい目にあうだろう。原告も承知しないだろう。」などと伝えてきた。

6  このような経過で被告は台湾に渡つて原告と結婚することに躊躇し、秀興に対し、日本で原告と結婚したいと申入れたが、原告の両親も原告もこれに応じなかつた。そこでついに被告は原告との結婚をあきらめるようになり、昭和四〇年一一月五日、被告から原告に対し、原被告の婚約を解消する旨の手紙を送つた。それに対し、原告から被告に何らの返信もなかつた。

以上の認定を覆えすに足りる証拠はない。

四  婚姻予約の成立要件及びその効力の準拠法についてわが法例は明文の規定を有しないが、婚姻予約が身分法上の契約の性質をもち、婚姻の場合の一体的関係が成立する以前の関係であることから、右の準拠法は法例第一三条一項を類推適用し、各当事者につき、その本国法を適用するのが相当と解する。

原告が中華民国の、被告が日本国の国籍を有することは当事者間に争いがない。従つて、本件婚約不履行の効力については、右両国民法が重畳的に適用されることになるところ、日本民法によれば、婚姻予約の破棄につき、責を有する当事者において他方当事者に対し損害を賠償する義務を負うものと解され、中華民国民法は、一定の事由があるときは婚約を解除でき(同法第九七六条)、その場合、過失を有しない一方当事者は過失を有する相手方に対し損害の賠償を請求できる(同法第九七七条)旨定め、さらに婚約当事者の一方が、右第九七六条の理由を有しないで、婚約に違反したときは、相手方に対し損害賠償の義務を負う(同法第九七八条)と規定している。結局、日本民法、中華民国民法いずれにおいても、婚約が一方当事者の有責事由により破棄された場合にのみ、他方当事者に対する損害賠償の義務を認めているというべきである。

五  ところで、前記認定の事実によると、原告の両親は被告に対し、数度に亘り不当に高額な金銭的要求をなし、これに疑惑を抱いた被告がこれを断ると、被告が台湾に来ることや、原告と被告との結婚に対し強い反対の態度を示したため、被告は渡台して原告と婚姻生活に入ることが困難となり、そして原告もまた来日してまで被告と結婚する意思がなかつたため、被告は止むなく本件婚約を解消したことが認められるから、本件婚約破棄について被告に責任があるとは言えない。

原告は、被告が本件婚約を破棄したのは、被告の勤務先の社長が被告の渡台を阻止しようとし、被告の姉達が被告の財産をねらつており、また、被告に新たな好ましい女性が出現したことなどによるのではないかと主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

六  以上に判示したように、被告が原告との婚約を破棄したのは、被告の責によるものとは認められないから、原告のその余の主張について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がない。

よつて、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 安藤覚 三浦伊佐雄 井垣敏生)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例